ミヒャエル・エンデ〜文明砂漠〜

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確かに、人々は進歩が継続し、ますます幸福になるという気持ちでいるようです。

コマーシャルや現代文明のあらゆる手段によって、そのように言い聞かされてもいます。

人々は、本当はますます貧しくなる一方であって、内なるものは空になり、最後には自分たちの内なる世界の荒廃(砂漠化)を進めていることにまるで気づいていません。

引用:ミヒャエル・エンデ ,河邑 厚徳 ,田村 都志夫 訳 『エンデの文明砂漠 ミヒャエル・エンデと文明論 (アインシュタイン・ロマン6)』,日本放送出版協会 ,1991,p.52

 

エンデは、「ある中央ヨーロッパ先住民の思い」というエッセイの冒頭で、G・ビューヒナー「ヴォイツェック」をとりあげています。

むかしむかし、あるところに哀れな子供がいました。おとうさんもおかあさんもなく、みんな死に絶え、この世界にはもうだれもいません。みんな死んだので、この子供は出かけて行き、昼も夜も捜しました。この地上にはもう一人たりともいないので、天に行こうと思いました。月はこの子をやさしく見つめていました。やっとの思いで月に着いてみると、それは腐った板切れでした。それで太陽に行きました。太陽についてみると、それは枯れたヒマワリでした。それで、星に着いてみると、星は小さな金色の蚊でした。百舌(もず)が麟木に刺すように、ピンで刺されて、いました。再び地球に帰りたいと思ったときには、地球はひっくり返った壷になっていました。それで、この子供はまったく一人ぼっちになってしまい、そこに座りこむと、泣き出しました。今もまだそこに座ったまま、まるで一人ぼっちなのです。

G・ビューヒナー「ヴォイツェック」より

 

ヤノベケンジのアトムスーツプロジェクトで、チェルノブイリ原発事故後にゴーストタウンとなった街の写真をみることができます。

廃墟になった遊園地、保育園を見たとき、私は「文明砂漠そのものじゃないか」と思いました。

こんな世界で生きていくのは、子供に限らず、大人にとっても厳しい。

 

そういう思想体系に生きているのですから、『こころの砂漠化』と『環境の砂漠化』が起こるのも不思議ではありません。

それが炭素文明や工業化社会の裏の顔であり、いきつくところは人間のロボット化です。

 

 出典:YouTube

 

 砂漠の緑化に興味がある方は、水素文明を調べてみて下さい。

きっと何かを感じるハズです。

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