名にまつわる物語は多い。
創世記で神が最初に行ったのは、創造と名前をつけることだった。
初めに、神は天地を創造された。
地は混沌であって、闇が深淵の面にあり、神の霊が水の面を動いていた。
神は言われた。「光あれ。」こうして、光があった。
神は光を見て、良しとされた。神は光と闇を分け、
光を昼と呼び、闇を夜と呼ばれた。夕べがあり、朝があった。第一の日である。
神は言われた。「水の中に大空あれ。水と水を分けよ。」
神は大空を造り、大空の下と大空の上に水を分けさせられた。そのようになった。
神は大空を天と呼ばれた。夕べがあり、朝があった。第二の日である。
神は言われた。「天の下の水は一つ所に集まれ。乾い た所が現れよ。」そのようになった。
神は乾いた所を地と呼び、水の集まった所を海と呼ばれた。
旧約聖書 創世記 第1章より
ゲド戦記では、真(まこと)の名を知れば、竜でさえ従わせることができた。
マトリックスでは、主人公はエージェントに『アンダーソン』という名で生きることを強制されるが、自分は『ネオ』だと名乗る。
千と千尋の神隠しでも、主人公は魔女に『千尋』という真の名前を掌握され、『千』という仮の名を与えられる。そして主人公は、自分の本当の名を思い出すことができなくなる。
真の名は、そのものの本質を表すといえる。
真の名を失うことは、自分が本来何者であったか、本当の生き方はどうかを失うことに等しい。
もし千と千尋の主人公のように、自分の本当の名前を失ってしまったら、どうなるだろう。
しかし、ネット社会には自らの名を捨て、匿名で暴言や虚言を吐く輩がいるらしい。
匿名の暴言や虚言で作られた言霊は、影のような亡霊となって世界をさまよい歩く。
匿名の亡霊は、ゲド戦記でいう『影』の存在となる。
それを発信した人間も、受信した人間も良い影響がある訳がない。
ミヒャエル・エンデ作『はてしない物語』で主人公のバスチアンは、本の中(ファンタジーの世界)に入り込み、世界の様々なモノにその本質をついた新しい名前をつけ、世界を生まれ変わらせた。
死んでしまった生命力に新しい名前をつけることで、再び命を吹き込んだのだ。
エンデはいう。「ほとんどすべての芸術や文学の仕事は、それまで名前をもっていなかった事柄に、名前をつけることなんですよ」

こんにちは、以前お願いしていた「名前」の記事ですね。ありがとうございました。
記載されている3つの物語は何回も観ました。なぜ、人を魅了する作品なのか?多くの方が気がつかないまま陥ってしまった不幸な状況を、教えてくれているからかもしれません。
隠された真実に光りをあてるような作品が好きです。この記事を参考に映画を観る時は意識してみたいと思います。
倉橋さん、コメントありがとうございます。記事掲載が遅れて申し訳ございませんでした(涙)。ファンタジーが現実逃避と勘違いされることが多いのですが、本物のファンタジー(芸術)は、現実に新たな視点をもたらすので逃避とは真逆のものです。また、現代の仕事は、頭を使うことが多く思考が偏ってしまいがちです。しかし、芸術と真剣に対面しようと思えば、考える・感じる等、五感をフル活動させなければなりません。なにかバランサーの役割というか、物事の全体性を見るようで、そういったところも私は好きです。